これほど見るのにしんどい映画はなかった。若尾文子の実質デビュー作ということで楽しみに観たけれど、ある意味裏切られた。口直しがほしい…。映画はエンタテイメントと思っていたら大間違いで、正直とてもイヤな映画で、わが同胞の日本人たち、しかも女・子ども、赤ちゃんといった非戦闘員が、負け戦の中国大陸で命からがら逃避行を試み、その苦難が見ていてとても胸苦しく感じられた。 1952年というと敗戦後7年、まだまだ戦争の記憶が生々しい時期で、戦争被害者たちは一体誰を恨んだらいいのか、敗戦国として行き場のない怒り・苦しみ・無念さが渦巻いていたことだろう。中国・韓国の人たちは、日本軍が散々なことをして大きな傷を負ったことを、ただただ日本が憎いと言えるが、日本人の戦争被害は誰に訴えたらいいのか、結局は日本政府なんだけど、復興に向けて進む自国に攻撃を向けるのも難しかったことだろう。 中国軍が日本人を殺しているシーンやその結果としての死体などは描かれていなかった。敗戦国として遠慮したと思われる。戦争終結の混乱で多くの日本人が大陸で息絶え、シベリア送りの人もほとんどが帰らなかったことなどについての憤(いきどお)りを持っていく先は、相手国ではないとしてガマンする敗戦国日本の複雑な心境がうかがえた。 (画像引用元:大映1952「死の街を逃れて」角川映画よりScreenShot) ええと、若尾文子については、脇役というよりも準主役で、パッケージの解説通り、か弱い婦女子の群れを引っ張っていく重要な役どころとなっていて、しっかりと演じられていた。川で水浴するシーンで肩や腕を出していて、さすが18歳!若々しい肌の張りとかが見てとれた。終始顔に泥を塗っていたが、大写しになったところは、さすがに端正な顔立ちだったのであります、ハイ。 配役クレジットで若尾文子(ニューフェース)と書かれていて、それから監督の小石なんとかさんが大きな文字でその下に数人助監督が羅列してある中に、「増村保造」の名前があった。若尾文子はデビュー当時から増村監督と縁があったことになる。
by snowmorning
| 2018-11-25 22:12
| 映画
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